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「好きよ。私にとって、音楽は唯一の娯楽なの」
 娯楽っていうフレーズが合わない。なんでかなって考えたら、それは俺にとって音楽がご楽じゃないからだった。音楽が俺の人生になる。初めてロックに触れたときから、そんな予感しかない。
「ねえ、俺らとうたわない?」
「ら?」
 おっと、唐突すぎたね。
「バンドやってるんだ。今は休止中だけど、きみがうたってくれれば再開できる」
「ばんど?」
「そう。ロック」
「ろっく?」
「俺、ロックに人生かけてるんだ。一緒にやろうよ」
 その子は、うつむいたまま、なにもしゃべらない。
「きみの力を貸してほしい。言ったろ? きみの声は特徴的だって。それに、とても魅力的だ。一緒にやろう!」
 俺の熱弁ぶりに、俺が一番驚いてる。ただの思いつきのはずが、誘ってるこの短い間に、どうしてもこの子とプレイしたくなった。この子はどんな声でエスがつくった曲をうたうんだろうって、どんなふうに表現するんだろうって、もう、後には引けないくらい聴いてみたい。聴いていたい。
「ロック楽しいよ! しかも、俺と一緒なら、百倍楽しいって」
 その子の唇がかすかに動いた。
「……私、目が見えないのよ。きっと、ご迷惑に――」
「ならないね!」
 その子は、目を閉じたまま、素早く顔を上げた。なにか言いたげな表情をしてるけど、俺は構わず続ける。
「音楽に目は関係ないよ。実はいうと、俺、今ね、左耳がほとんど聞こえないの。俺のほうが致命的だと思わない?」
「でも……」
「俺が支えるから! やろうよ、ロック」
「家族が……、なんて言うか……」
 もうひと押し!
「よし! 今から、きみの家に行こう。そんで、きみの家族に俺がお願いする」
 今日の俺、すっごい大胆。

 というわけで、二人で歩道を歩いてるわけだけど、俺ね、名前聞いちゃった。すっごいかわいい名前でね、この子にぴったりって感じなの。でも、教えないよ。だって、言う必要ないでしょ。芸名ってもんがあるんだから。
 そ、この子が、のちに『ジャパニーズロックのミューズ』って変なコピーがつく、ナオ。まあ、確かに俺の女神ではあるけど。
 ナオと歩いていると、いくら歩道といえども、危険がいっぱいってことに気づかされる。自転車はびゅんびゅん横切るし、いきなり発進する車だってある。それでも、ナオはこの道は毎日のようにひとりで通るんだって。
「えらいね」って言ったら、「ふふ、これでも私、二十三歳なのよ」だって!
「え、嘘でしょ!」
 ナオは、首を横に楚々と振る。
 パッと見たかんじ、中学生なのに、俺より五歳も年上なの!
「よく驚かれる。私、自分の顔ってわからないんだけど、そんなに幼く見える?」
「うん」
 反射的に頷いちゃったけど、素直は時としてあだになる。俺、まずいこと言っちゃった?
「えーと、その、ごめん」
 でも、ナオは、くすくす笑って、
「いいのよ。外見なんて、私にしてみたら、どうだっていいの。気にしないで」
 優しい声で、優しいことを言ってくれた。
 もう、好き。言っとくけど、ナオのファン一号は俺だからね。

 ナオの家は、今どきのこじゃれた戸建てだった。柵にいっぱい植木鉢が掛けてあって、もう冬も近いというのに、花がたくさん咲いていた。
「男の子つれてくるの初めてだから、お母さんびっくりしちゃうかも」
 ちょっとここで待ってて、って言い残して、ナオは玄関の中に入っていった。ひとりで玄関先に立っていると、だんだん焦りがつのってくる。ほとんど初対面の女の子の家に押しかけてるっていう、非常識極まりない現実に押しつぶされそうだ。
 なんて言おう。いきなり、ダメですって言われることだってありえる。というか、ナオのあの態度を考えると、その可能性が高いような、いや、ダメですとしか言われないような気がしてきた。なんか対策を――。
 必死に考えているさなか、玄関のドアが開いた。
「どうぞ」
 ナオはサンダルをひっかけて、玄関から出ずに扉を手で押さえてる。
「うん」
 なんて、かわいい返事だけでいっぱいいっぱい。
 ナオの後に続いて、お邪魔した。入ってみてわかった。この家、段差が少ない。俺の家なんかさ、日本家屋の日本代表みたいな家だから、めちゃめちゃ段差だらけなの。
 すっげえな、すっげえな、って、とてもフラットな敷居を跨いで居間に入ると、お母さんらしき人が、ぺこりとおじぎをした。
 ナオのぺこりはお母さんゆずりなんだって思った。素朴な感じの人で、染めてない黒髪を片方に寄せて、ひとつにまとめてる。
「こおんにちは!」
 声、裏返っちゃった。
 そしたら、ソファーのある方から、くすくすって笑う声が聞こえた。ナオの声に似てるけど、ちょっとちがう。
「わ!」
 驚いた。ソファーをじっとみてたら、ぬ、って、女の人が現れた。
「ふふ、ナオのボーイフレンド? ナオ、座ってもらったら?」
 その人は、ナオともお母さんともぜんぜん違って、髪が茶色いの。化粧がケバケバで、パンダ目指してるのかなってくらい、目の縁がぐるっと黒い。
 でもね、この人好き。俺のこと、ナオのボーイフレンドだって。いい観察眼もってるじゃない。


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