壁8


「おめーらよー、男だよなあ? 運悪く男に生まれちまったんだろ? いくらコドモでも女だったらモノ扱いされないもんなあ」
 覚醒率が高い子を産むことができる母体として希少価値がある女子のコドモは、黒服として戦場に駆り出されない。
「だけど、俺らは男に生まれた。これは事実だ。あと二年もすりゃ、最前線で生死の境で戦うことも事実。事実なんだよ」
 坂下は、ぎゅっと眉根を寄せる。
「事実を認めろ。『戦闘部隊はカドマカフの至宝』だの、『メシア』だの、んなもんは黒服に袖通したこともねえジジイどものおべっかだ。俺らは兵器なんだよ。諦めろって意味じゃねえぞ。認めるんだ。自分は兵器だという事実を認めろ」
 だれよりも長く黒服を着ている坂下は、認められないやつから死んでいくことを知っている。認められないやつは、恐怖に押しつぶされる。そんな状態で物体化はできない。戦場で物体化ができなければ死ぬだけだ。
 諦めたやつは、もっとやっかいである。諦めたって、恐怖はへばりついて離れない。自暴自棄になる。自暴自棄は、仲間を巻き添えにして死ぬ。
(俺たちコドモは、覚醒したその時から、ただ生きているだけで恐怖に押しつぶされそうになっているんだから)
 あと数年しか生きられないのが怖い。死に際発狂するのが怖い。残された日を指落り数えることができる毎日が怖い。怖い。
 破格の給料をもらっても、どんなに褒めちぎられても、いくつ勲章をもらっても、その恐怖の対価に到底なりえないことも、坂下は知っている。
(覚醒して、コドモになって、よかったことなんて何ひとつないと知っている俺が、どうしてこいつらに……)
「……もういいぞ、ヒカル。あー、時間が余ったからそうだなあ、組手でもやるかあ」
 行き所のないため息を、ひょうひょうとした言葉で霧散させる。
 目の前でうごめく若い黒服は、土汚れが白く浮くほど、黒く黒い。
 授業終了のベルが鳴り、同時に坂下はヒカルを呼んだ。
 バケツに嘔吐するクラスメイトの背中をさする手を止めて、ヒカルは、金網に寄りかかる坂下のもとに駆け寄る。
「なんでしょう」
 にっこりとほほ笑むヒカルの額には、一粒の汗も浮かんでいない。
(あんだけのことやらしたのに、涼しい顔しやがって)
 坂下は内心ムッとしながら、ヒカルの二の腕を掴む。
「こんな細腕のどこに、あんな力があるんだか」
「堂々とセクハラですか」
「男に手ぇ出すほど、女に飢えてねーよ」
「そういうセリフ、坂下教官みたいに面構えのいい人が言うと、ことさら感じ悪いですね」
「……ずいぶんと生意気だな、コラ。けんか売ってんのか」
「いいえ。警戒してるだけです」
「警戒だあ?」
「はい。ゲイじゃないかって和ノ宮さんが言ってたんで」
「ハア? 誰が?」
「坂下教官」
「……しばくぞ」
「しばかれない自信ありますけど。というか、なんのようですか? こんな話するために呼んだのなら、ぼくはトレーニングルームに行きます。血がたぎっちゃって、イライラしてるんです」
「お前、体動かすと性格変わるよな」
「ぼくの原動力は怒りと憎しみなんで当然です」
「その発言、危ない人だぞ」
「性癖が危ない人に言われたくないです」
「ヒカル、いい加減にし――」
 坂下は途中で言葉に詰まった。もやがかかったヒカルの瞳に、坂下のそれが鋭く射抜かれていた。
「そろそろ限界です。用がないならさっさと解放してくれませんか。じゃないとぼく、坂下教官の首でもいい気がしてきそうです」
(虫も殺せねえような顔して、なにこいつ……あぶねえってマジで。誰だよ、こんなの入所させたやつ……)
「イリナのことなんだけどよー」
 胸のざわつきをひた隠し、坂下は平静を装って言葉を紡いだ。坂下を襲う鳥肌は、いっこうに静まる気配がない。
「イリナさん? イリナさんがどうしました?」
 途端、ヒカルの目にかかっていたもやが晴れていく。
「まさか、イリナさんに目をつけられてしまいましたか?」
 坂下は、安堵を通り越して、ぎょっとする。あれだけ鋭く光った眼光が優しさに満ちていた。『イリナ』という固有名詞ひとつで。
「まあな」
「へえ。それは楽しみです」
「おまえなあ」
「坂下教官とイリナさんの攻防、楽しみにしていますよ。では」
 ヒカルは、失礼します、と頭を下げて、細い背中をひるがえした。
(なんつうか、あんな危ねえやつでも黒服未満のガキに違いねえってことか)
 正式に戦闘部隊となれば、恋だの愛だのに費やす原動力すら惜しくなる。実力主義の上下関係と常時臨戦態勢で神経をすり減らし、物体化の連続により脳を酷使し続ける。
 その一方で、戦闘配備の後は、疲れ切った心身を引きずって、殺しによって猛った体を沈めるためだけに娼館足を運ぶ。いくら称賛されようが、どんなにもてはやされようが、それが黒服の日常である。


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