壁9


(あー、疲れた。ったく、最近のガキはどうなってんだよ。礼儀とか、年功序列とか、礼儀とか礼儀とか)
 本日の講義を終え、軍部寮に向かう坂下は、頭の中に三人の問題児を思い描く。
(ひとりは、教官を陥れることが趣味みたいな腹黒だろ)
「坂下教官」
(んで、そいつの王子が、危険思考の怪力で)
「坂下教官、直帰ですか?」
「んだよ、うっせえな」
 後ろをついてくる柔らかい声に、坂下はぞんざいに返してそのまま歩く。
(そのふたり囲ってんのが、天下の和ノ宮御令嬢、って、んな、魔王最高幹部みたいなパーティー、手に負えるわけねえだろ)
「坂下教官。部隊が直立不動で少佐の支持をお待ちですよ」
 またしても同じ声がして、しかも今度は肩を掴まれた。坂下は、反射的にその手を払い、
「るせえつってんだろ! 朝まで立たせとけ! 俺は疲――げ」
 振り返って、硬直した。これこそまさに直立不動だ。
「み、宮部司令……」
「げ、とはなんですか。相変わらずですね、坂下。また一から礼儀を叩きこまなきゃいけませんか?」
 宮部は坂下に微笑みかける。傍から見れば、慈愛に満ちたとしか言い表せないような、温厚なそれなのだが、坂下は、自分の肩ほどしかない身長から放たれる圧力を感じる。思わず後ずさる。
「部隊を朝まで立たせるのは、まあいいでしょう。私も君たちには意地悪でよくやりましたからね。気分がすぐれないときは、とくに」
 と、さらににっこりする上官に、坂下は、当時を思い出してぶるりとした。
(悪天候をあえて選んで立たせませんけどね、俺は)
 軍部戦闘部隊司令という役職についている宮部は、坂下が訓練生だったころの教官であり、その後、指導官として君臨し、今は直属の上官である。
「坂下。教官職はいかがです? おまえみたいな輩がたくさんいて面白いでしょう?」
(なんでこの人は、俺に対してだけ、こう毒舌なの)
「……骨が折れます」
「ほう。やっと私の気持ちをわかっていただけたようですね」
「はあ。宮部司令、俺には荷が重いです。ガラじゃありませんし。佐官だって正直めんどくせ――身に余るんですから」
 本音が漏れそうになって焦る坂下に、宮部はにっこりと笑い、おやおや、と目を細める。
「もう音をあげましたか。情けない。ああ、どうしましょう。どうせ坂下にやらせるからと思って、最終入所検定で奇抜な子たちを揃えたというのに」
「……は?」
 宮部は、はにわ顔の坂下を尻目に、淡々と言葉をつづける。
「筆記で『同士』という字を血液で記述したり、面接で趣味を『強いものイジメ』と胸を張って答えたり、短所を『短所がないところ』と鼻で笑いながら答えたりした子は、今どうしてます?」
 坂下は戦慄した。
(お、おまえか! 魔王パーティーを作りやがったのはァアアア!)
「揃いも揃って俺を悩ませてくれてますよ……」
 がっくりと肩を落とす坂下を尻目に、
「ほう!」宮部は嬉々として両手を叩いた。「そうですか! では、彼女らにご褒美をあげなくては」
「ああもう、好きにしてください」
「坂下」宮部は声を改める。「本日、ニーマルマルマル(二○時)、和ノ宮麗佳、イリナ、ヒカル以上三名を総監室に連れてこい」
 は、と、坂下は力なく敬礼をして、「では」と、回れ右で踵を返す。
(まじで好き勝手言いやがって)
 歩きだす坂下を「ちょっと」と宮部はひきとめた。
「坂下。少しは寝なさい。寝たって、だれも文句は言わない。おまえを少佐にしたのも、教官にしたのも私です。おまえがミスを犯したところで、おまえの責任じゃない」
 坂下は、立ち止まれども、振り返りはしなかった。
「おまえの責任は、すべて私の責任です」
 上官に背を向けたまま敬礼するのは、無礼だとわかっていても、坂下はそうするしかなかった。胸がぐっと締め付けられて、今にも込みあげてきそうだった。
(るせえんだよ、ジジイ……)
 宮部だけが坂下がミスを犯す、という前提で話をする。唯一、坂下を「カドマカフの至宝」という扱いをしない大人。「至上最高の黒服」、坂下を恐れない大人。だからこそ――、
(アンタにそんなこと言われちゃあ、やるしかねえだろうが)
 坂下は、夕暮れの廊下を歩きながら、自嘲する。
(すっげえイヤだけど)


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