壁7


 坂下はイリナの後ろに立ち、たーまやー、と額に手をかざす。
「残念だったなイリナ。ヒカルのアホがまた変なもん物体化したら、今度はもらってくれ、な」
 ぽん、と手を置いたイリナの肩が小刻みに、そして不規則に、上下する。
(ん?)
 耳を澄ませば、
「ふふ、ふふふ……」
 カントリーロードが聞こえたらどれほど幸せだったか。しかし現実は、つらく厳しい。
「ふ、ふふふ、ふふ……」
 あれ? ここってお化け屋敷だっけ? とトリップしてしまいそうな不気味な笑い声が、坂下の胸あたりに位置するちっこいのから聞こえてくる。
(な、なにコイツ、怖え……)
「坂下教官。あーしは、あの人形の服が欲しいって言いましたよね……」
 イリナは、オッサンが爆破した遥か上空を虚ろに見つめながら、声を震わせる。
(え!? 服っすか!? 言って……ないないないないない!)
「あのしましまトレーナー……と同じタイツを合わせて、そこに黄色のツナギをだぼっと着て、真っ赤なアフロで――」
(ファーストフードのあの人!?)
 振り返ったイリナは目に涙を溜め、「昨今のガキはどんだけチキュウフリークなんだよ」と言えない坂下をギッと睨み上げて、さらなる追い打ちをかける。
「――街を闊歩したかったのに!!」
(闊歩しちゃうんですか!! やめて! 俺が指令に怒られるんだから!!)
「ヒーが褒めてたから、坂下教官だけは意地悪しないようにしてたのに……」
 舐めるように見上げるイリナに、坂下はごくりと喉を鳴らした。
「あーしを怒らせちゃったね」
「い、いや? い、イリナちゃん? あれ、危険だったから、な? お前も見ただろ? あの大爆発! 一刻の猶予もなかっ――」
 見栄も外聞もかなぐり捨てて、一生懸命言いつくろう坂下を、イリナは、ふん、と鼻で笑って一蹴する。
「坂下きょーかーん、あーしがわからないと思ってんですかあ? ヒーは物体変化も、その応用の物体混入の物体化もで、き、ま、せ、ん、よ、ね」
(うげ、ばれてら)
「たかがコーヒーを物体化するのに、クソみたいな人形出すヒーが、人形の中に爆弾を入れて物体化するなんて高等テク、扱えるわけないですよねー」
(クソみたいな人形って、宇宙を股にかけた人気者になんて暴言を!)
「でも、坂下教官は、物体化したものを一部変化させて、そこに爆弾を物体化する、なんてこと朝飯前ですよねー。一瞬でできちゃいますよねー。許せませんよねー」
 イリナは顔を引きつらせる坂下の耳を掴んで、強く強くそれは強くそして勢いよく、下に引っぱった。小さくうめき声を上げる坂下の耳元に口を寄せて、イリナは甘く囁く。
「いーっぱいいたぶって、あ・げ・る」

 ***

「リク! へばってんじゃねーぞ! 罰だ、ラウルおぶってうさぎ跳び2周。早く行け、早くしねえと5周に増えるぞ」
「ハイ!」
 坂下の檄が飛ぶここは、背の高い金網にぐるり囲まれた戦闘訓練庭である。面積の程は、戦闘機を同時に10機物体化し、悠々と離陸訓練できるくらい広い。
「八、九、三六〇、一、二……」
 教官坂下は、戦闘科の生徒たちを横一列に並ばせ、逆立ち腕立て伏せを延々とさせていた。
 今日の訓練はいたってシンプル、逆立ち腕立て伏せをサバイバル方式でやるというものである。つまり、体が上がらなくなったもの、バランスを崩した者は、即脱落。そして脱落者には、ペナルティーが待っている。
「おーおー、残ってるのはヒカルだけかあ? つまんねえな。毎度毎度ヒカルに勝てるやつはいねえのかよ。おい、ヒカル、次、左手」
「はい」
 ヒカルは、数える合間に短く返事をして、地面についている手を替えた。
「おめーらよ、んなヤワな精神力と集中力で『黒服』が務まると思ってんのか」
 脱落し、すでにペナルティーも終えた黒服予備軍に、坂下は呆れ口調で言い放つ。
 両手腕立て伏せのクラスメイトが全員脱落してなお、ヒカルは背中と両手足首におもりをつけ、片手で黙々と回数を重ねていた。


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