壁6


 教官、坂下シュウは、問題児が物体化させた等身大のオッサン人形を引きずりながら廊下を歩いていた。
(ああもう。あんな問題児、俺なんかが面倒みきれっかよ)
 ドスドスと足を踏み鳴らして、不機嫌に歩く坂下を、中等部の生徒が遠目に見やる。
「見せもんじゃねーぞ、てめえら。あ、嘘嘘。見ろ! だれかこのオッサン欲しい奴いねえかあ」
 一応声を上げてみる坂下だが、体育座りの尻で廊下を掃除しているオッサンを欲しがる変態なぞいない。
(あー、こんなことなら、きっぱり両方断ればよかったぜ)
 初等部の戦闘、物体化の指導を受け持つ坂下は、中佐への昇進を断ることと引き替えに、泣く泣く教官を引き受けた。
(宮部のオヤジのツラ立ててやろうだなんて、なに血迷ったんだかなあ)
「あっれえ? 坂下きょーかーん。綺麗な顔が気持ち悪く歪んでますよお」
(げ。イリナ)
 坂下はさらに眉根を寄せて、ニタニタ笑いながら近づいてくるイリナを素通りしようと試みる。
「ああそうかい。そいつはどうも」
 しかし、そうは問屋が卸さないのが、「教官キラー・イリナ」である。左へ避けようとした坂下の行く手を阻むように、同じ方向へ横っ飛び。咄嗟に体を引く坂下を見上げ、にんまりと笑う。
「ね、ね、そのイケてる服着たオッサン、ヒーのでしょ? ヒーが出したやつでしょ?」
 無視だ無視、と早足で歩き出す坂下の横を小走りでちょこちょこついてくる。一見、小動物だが、このかわいらしい容姿に気を許したら最後、こてんぱんにイジメ倒され、挙句、退官に追い込まれる。
「お前も見てただろうが。教室の片隅でクスクス笑ってただろうが」
「いーな、それ、いーな。それどうすんの?」
 傍らでぴょんぴょん跳ねるイリナにちらりと視線を落とし、坂下は頬を引きつらせる。
(いたよ、欲しがる変態)
「欲しかったらやるぞ」
「やった! ヒカルコレクション、略して『ヒーコレ』がひとつ増えたぜ!」
(いや、待てよ)
 と、坂下は、イリナの喜びようを見て思いとどまる。
(相手はこのイリナ。このオッサンを部屋のインテリアにするのは痛いが、俺は教官……イリナにとって俺はターゲット……)
 しま模倣の服を着たオッサンの眼鏡を嬉しそうにつつくイリナを横目に、坂下の頭は超高速で回転する。
(例一、イリナ自ら針を仕込む
    ↓
「キャー、坂下教官にもらった人形に刺された―、あ、針だー」

 例2、イリナ自ら人形の服を脱がす
    ↓
「キャー、坂下教官にもらった人形に犯された―、あ、行動制約の札だー」)
 ――的なチャートが坂下の頭の中にざっと五パターンほど浮かび上がり、そして結論が出た。
(無理!)
「坂下教官? ソロモックスβから手を離してくださいよう。持っていけないじゃないっすかあ」
(うわ、変な名前つけやがった!)
 とかなんとか思ってる間にも、イリナはオッサンの腕を抱いてぐいぐい引っ張る。
 坂下は坂下で、しま模様の後ろエリを掴んいるもんだから、首にエリが食い込んで、ウォーリーさんでもソロモックスβでもなく、もはやただの可哀相なオッサンである。
「あ、あのな、イリナ。ちょっと、ここに耳つけてみ?」
 坂下は、オッサンの背中をぽんぽんと軽く叩いた。なになにー、と目をぱちくりさせながらイリナは、オッサンの背中に耳を寄せる。
「カチコチ、音がすんだろ? やべえんだわ、これ。中に爆弾しかけやがってよ。まったく、ヒカルには参るぜ。イリナ、ちょっと向こういっとけよ」
 言いながら坂下は廊下の窓を開け、イリナからオッサンを引きはがした。
 そして、オッサンから離れること2、3歩、タッタッと助走をつけて――バッコーン。坂下、渾身の一撃である。背中を蹴られた体育座りのオッサン人形は、窓から飛び出し、頭を軸に回転しながら遥か上空へ。
「ソロモーックス! ベーター!!」
 叫んで窓から手を伸ばすイリナの遠くその向こうで、
(よし、3、2、1……)
 オッサンが大爆発した。


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