壁5


「あんた、またやったわねー」声をかけてきたのは、後ろの席の麗佳だ。「戦闘科の訓練ってただでさえゲロもんなんでしょ? その上三倍って。坂下も鬼よねえ」
「五倍じゃないから、まだ」
 ヒカルは振り向きつつ、苦笑いで肩をすくめる。
「あー。ヒカルなら三倍でも楽勝か。あんた、チキュウ人並に怪力だもんね」
「……敵と一緒にしないでください」
 苦笑いしていたヒカルの眼にうっすらもやがかかり、すっと細まった。
「ヒカル。『敵』じゃないでしょ? そんなこと言ってると、懲罰房で反省文書かされることになるわよ。最終入所検定にだって出たじゃない。『カドマカフ人とチキュウ人は――』」
「『――同士』ってちゃんと書きましたよ」ヒカルは噛みちぎったような傷が残る小指の腹を見せた。「血で」
 おーこわ、と麗佳は大仰にのけぞる。
「あんたみたいな危険因子、軍部もよく戦闘科に入れたわよね」
 コドモは、軍人に必要な人格や基礎体力をはかる最終入所検定で不適合と判断されると、物資工場に回される。
 物資工場では、日用品から食料品、趣向品にいたるまで、カドマカフ国民が消費する、さまざまな物資をさながら機械のように物体化させられる。ということから、不適合者の中には、不可侵区域であるスラムに逃げ込むコドモも少なからずいるのも、また事実だ。
「でも、ぼくは合格しました」
 言ってヒカルは、胸元に拳を作った。わなわなとそれを震えさせて、ヒカルは続ける。
「和ノ宮さん。ぼくの力はチキュウ人の首を片っ端から折るためにあって、ぼくはチキュウ人を皆殺しにするために自らコドモ狩りを受けたんです」
 スラムには学校なんてありませんから、とヒカルはにっこり微笑む。
「和ノ宮さんこそ、入隊免除されてる家柄なのに、入所してるじゃないですか」
 麗佳は、「悪い?」と悪びれない。
「そういえば、坂下教官も免除組なんですか?」
 政府関係者や元貴族など、免除相当者は、たとえ免除を拒否しても、麗佳のようにファミリーネームや名前の意味を取り上げられることはない。
「さあ。でも、下の名前はカタカナじゃなかったっけ、あの人」
「そうでしたっけ? というか、下の名前なんでしたっけ?」
「戦闘科の主任でしょうが。名前ぐらい覚えてあげなさいよ。しょうがないわねえ」
 麗佳はくすくす笑って、
「でも、ヒカルのそういうところ好きよ」
 麗佳につられてヒカルも微笑む。ヒカルも、麗佳のこういうところが好きだ。
「坂下なんかより、ずっと好き」
 麗佳は、とびぬけて社会的地位の高い家柄に生まれながら、免除に甘んじない上に、スラムを差別しない。
「はは。ぼく、坂下教官に勝っちゃってるんですか?」
「もちろん。あんな完璧なの、可愛くないじゃない。つーか、ありえないわよ、人として。あれはね、重大な欠陥を隠してるに違いないわ」
「ぼくもはじめは敬遠していましたけど。でも、実力が伴ってるいい教官だと思いますよ。ぼくの物体化をいつも処理してくれますし」
「そうじゃなかったら……」
「ら?」
「口が臭いことを祈るわ」
「そ、そうですか」
 だって私よりも完璧だなんて悔しいじゃない、と白い歯を見せる和ノ宮麗佳は、古くからコドモ研究において様々な功績を残し続けている一族の、しかも直系の娘である。
 軍部のみならず、カドマカフ経済の一端を支えるコドモを研究する和ノ宮は、カドマカフ随一の富と権力を有している。
「あ、でも、口は臭くなかったと思いますよ、坂下教官」
「なにそれ、キスでもしたの?」
「……するわけないでしょう」
 あっけらかんと尋ねる麗佳に、ヒカルはあきれて肩を落とす。
「なーんだ。坂下がゲイだったら面白かったのに。……いや、ありえるわね。あの出世っぷりに、あの顔でしょう? 女にモテないはずがないのに、いまだ独身」
「モテるかモテないかは知りませんが、結婚しないのは、コドモだからでしょう。コドモが結婚したって無意味――」
「案外、異例の出世も上層部の親父連中も色目使ったのよ、きっと」
「や、あの、和ノ宮さ……」
「ヒカルばっかり投げ飛ばすのも、あれ、俺を見てのサインなんじゃない? なにせ、ほら、ヒカルはかわいいし」
 挟んだ言葉を何度も跳ね返されたヒカルは、はあ、とため息をついた。
「坂下教官がゲイでもバイでもどうでもいいですよ。チキュウ人を皆殺しにするすべを教えてくれるんだったら、なんでもいいです」
 ヒカルは立ち上がり、麗佳に向かってにっこりと笑う。
「覚醒した以上、どう足掻いたってあと五年ほどで死ぬんです。チキュウ人を駆逐するためだったら、どんなことだってしますよ」
 スタスタと教室を出ていくヒカルの細い背中を横目に、麗佳は、ヒュウと口笛をふいた。


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