壁3


 ヒカルが属する戦闘科と、イリナ・麗佳が属する製造科の次の時間は、物体化の合同授業になっていた。
 物体化が扱えることこそ、コドモがコドモであるゆえんであり、物体化を扱える者は唯一の例外を残して、およそ17歳までであることから、「コドモ」とカタカナ表記で区別されている。
 毎年、年度切り替えが間近の二月中旬、カドマカフにある小・中・高校全ての学校で「物体化能力基礎審査」が実施される。俗に「コドモ狩り」と呼ばれるその審査に合格すると、まず、ファミリーネームを抹消し、名前がカタカナに統一される。
 強大な力を持つコドモは、扱いが非常に難しいことから、身柄は一旦、軍部に預けられ、そこで軍人に適応するかどうかの入所検定が行われる。合格すると、自動的に入所、というシステムだ。
 前年度の“収穫”は目を見張るものがあり、今年度の初等科は、ひとクラス60人編成で、20クラスであった。

 ヒカルたちが属するA1クラスは、特に突出した能力を持つコドモたちが集められている。
「今回は、前回の応用。味と香りの再現、コピー技術の基礎をやる」
 教壇に立っているのは、軍部戦闘部隊隊長であり、現役戦闘員、兼、養成所教官の坂下シュウ少佐だ。
「まず俺が模範演技を見せる。そうだな……、あー、和ノ宮。コーヒーを物体化しろ」
「はい」
 指名を受けた麗佳は、両手を開いて机の上にゆるくかざした。
「お前ら、コーヒーは知ってるな? 万が一知らないやつがいたら、はい、今すぐ食堂に行って給仕員に注文してこーい。
えー、原料は、約百年前、チキュウ人がここカドマカフに持ちこんだとされる。この土地でその苗木が生育したことから惑星チキュウとカドマカフの土壌一致が確認されたといういわれがある植物だなー。
詳しくはめんどいので、興味のあるやつはおのおの図書室のD-ラ45で調べるように」
 麗佳の机上は、陽炎がたったように、空気がゆらゆらと揺らいで歪み、手の下にうっすらと白いコーヒーカップが浮かび上がる。半透明のそれは、徐々に色を濃くし、その中で黒い液体が少しずつ顔を出し始めていた。

『物体化』
 カドマカフの古い文献によれば、約二百年前、今は昔のことである。
 当時、カドマカフ全土はひどい飢きんに襲われていた。日照りが続き、作物は育たず、食料が足りない。
 年寄り子ども、弱いものからばたばたと餓死していった。
 面白いもので、餓死者は富裕層に多く、次いで労働階級、そしてスラム街の住民と、金とプライドを多く持つ者から被害が拡大していった。
 被害者がカドマカフ全人口の三分の一にまでのぼったころ、スラム街に異端児が生まれた。それは、あるスラム街に限られた事ではなく、いくつものスラムでほぼ同時期に幾人と確認された。
 その子どもは、まるで手品のように、何もないところから「物」を出現させる力をもっていた。
 「物」を出現させる子ども。
 その子どもたちの言うところ、その「物」を強く、強くイメージするだけで現れるという。
 やがて、スラムに限らず、世界各所で次々と力に目覚める子どもが増えていった。
 カドマカフ人は、その力を「物体化」と名付け、力を持つ子供たちを大切に育て、時には神のように崇め奉り、物体化の発展を祈った。しかし、物体化を扱える者が思ったように増えることはなかった。覚醒する子供たちが右肩上がりに増えているにも限らず、だ。
 覚醒した子どもは、総じて短命だったのだ。
 平均寿命、十七歳――。
 死期が近づいた子どもは、まず意志薄弱になる。危機感や恐怖感、味覚や痛覚といった脳機能が働かなくなり、ついには精神異常をきたし、発狂して死んだ。
 親の顔も忘れ、死んでいった。
 「物体化」に覚醒したコドモは、子どものまま死ぬ。
 それは、二百年経過した今も変わらない、カドマカフの常識である。

 麗佳の机上に物体化されたコーヒーは、そのカップに金の装飾がされていて、ソーサーには角砂糖、ミルク、銀の光沢が美しいスプーンまでもが添えられていた。
 ここまで詳細に物体化できる生徒は、このクラスにはいない。いや、クラスと的を絞らずとも、ここまでディテールにこだわったコーヒーカップを物体化できるのは現役軍人の中でもそういないだろう。
「和ノ宮、持ってこい」
「はい」
 麗佳はすっくと立ち上がり、ソーサーを手に持った。
 麗佳が通ると、コーヒーの香ばしさが、前の席に座っているヒカルの鼻孔をくすぐる。おそらく味も素晴らしいことだろうと、簡単に予想できる香りだった。


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